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とりあえず

今日の感想を。

なんとか今日も終わった。少しすっきりした感じ。なぜだろう。どうも今日の予約が心理的に負担になっていたように思う。先週からの経緯を保持できてる、と思う。何より、先生と会っていないけどつながりを感じられて良かった。母親に対しては、すっきりしない感じ。それにしても今日は忙しかった。それと、本業について意識が戻ってきた。やるべきことを思い出した。さてと、来週にはプリンタを持ち帰り、記事を書くために印刷したり、プランを練ったりしていきたい。

土曜日

今日も独り言を。

昨日は最近の傾向どおりテレビやネットを見てるうちに寝てしまった。部屋が寒いのと人に会う機会がないので体力が、気力が持たない。何かを勉強したり、文章を書いたり、計画を立てたり、したいのだが、情報収集するだけになってしまう。朝食を作る習慣を作ってみようかとも思ったが、面倒臭いので、やっていない。ブログを書く習慣も途切れつつある。とにかく部屋が寒いのでセラミックヒーターを買おうかと思う。それにしてもいろんな情報に接するようになってきたはいいが、自分の生活を構築できない。なんとかしてこれから自分の生活を作っていこう。

水曜日

今日は昨日よりは安定した感じがする。これから書類を整理して、提出できるよう準備して、少し買い物をしたい。それから、連絡をしなければ。そんなこんなで、今日はちょっと忙しくなりそうだ。

とにかく日誌でもいいから、文章を書いて、公表していこうと思い、今はブログを更新している。情報を発信する側に立つ時間を1日の中で強制的に作り出すため。やってみないとわからないことがあるはず。とりあえず、今日はここら辺で。

今週の面談を経て

今週の面談を経て、僕は人とのつながりを自分の中に保っておく力がついたように思う。

なぜかというと、面談をメモしている最中、ふっと心理士の先生の存在感を臨場感を伴って思い出したからだ。

今までこんなことはなかったので、我ながら驚いた。

人とのつながりが保持できたのと同時に、世界との一体感も感じられる瞬間が増えたように思う。

しかし、面談翌日の今日は何か手をつけたいと思っても体が動かない。

ひたすら、先生とのつながりを疑似体験させてくれる、ネット動画や、これからの不安を解消してくれるネットの情報を摂取する、受身の状態になってしまい、文章を書くときのような能動的な状態になれない。

もしかすると、薬を今朝飲んだのに、飲んでいないと思い、さらに飲んでしまったので、頭にもやがかかった状態になってるのかもしれない。

今朝、薬を飲んだ気がするのに、薬をもう一度飲み直した。

不安だったからだ。

もう一度面談があるまでは、本物の先生とのつながりは体験できないわけで、一回つながりをリセットされたという現実に、今朝は自分なりに直面していたのだろう。

やはり、それだけ、自分が心もとなさを感じたのだろう。

なんだか、とても眠い。

ぐっすり寝たい。

昨日はブログを書くという目標すらほっぽり出してしまった。

興奮していたのだ、自分の変化とそこから見えてくるであろう、これからの将来に。

しかし、実際には将来に押しつぶされてしまったように思う。

今日の午前中の自分を振り返ると、まだ、今の自分は、将来に関して、希望を以前よりはもてるようになったとはいえ、将来の予測不可能性に耐えうるだけの器になれていないということか。

ひたすら内向的な文章になってしまった。

目標達成には文脈を捉える力が必要という話し

目標達成とは、1日の中で決まった時間を特定の行動に使うことを指して言います。

ダイエットとか、資格勉強、語学の勉強とか、です。

文脈を捉える力とは、自分の行動を振り返って、その行動の意味に気づく能力を指します。

すごくあるものが欲しくなったとして、それはどんな欲求によるものかを理解することですね。

ここ数日、毎日机に向かってノートをとるようにしました。

その時の自分の考えや、感情を整理するためです。

手書きでノートを書いていると、いかに、自分の軸がブレブレなのかに気づくようになります。

つい1日前には、ブログを書こうと思い立っても次の日になったら、やっぱりサイトのデザインを考えようとか。

そんな感じで一つのことに取り組もうとしても、それを続けられず、何か別のことに手をつけてしまうことが往々にしてありました。

 

僕は、ブログの記事を書くのがとにかく億劫でした。

億劫とは思っていないんだけど、気づいたら、記事を書く方法考えていたり、記事のネタを探していたり、記事を書くことから離れてしまうのです。

ノートに手書きで、これから何をすべきかをまとめていくと、いかに一つのことを継続できないか、に気づきました。

どんな理由であれ、やったことのないことを継続するのは、難しいものです。

努力することが簡単なら、誰も困りはしないでしょう。

 

あれこれ考えて行動しているつもりでも、やるべきことを先延ばしにしてることには気づけないものではないでしょうか。

最近、ブログを書くことを先延ばしにしているなと感じた自分の行動がありました。

それは、、、

また次回。

一般によく「行動力」という言葉で表現される目標達成スキルの内実は、「文脈を捉える力」ではないか?、という話し

昨日から、ブログに記事を毎日、決まった時間、例えば、朝と夜に、書いていこうと思い立ちました。

2016年の12月からブログを書き始め、2か月経とうとしている今、やっとブログを定期的に書こうという段階にまで、きたのかなと思っています。

「なんでもいいので、とりあえずまずやってみることが、僕はとても苦手です。」

・・・というのが、三日坊主に終わってしまう自分を説明する時に、よく使われる表現ではないでしょうか。

実際に、僕もそう思っていたし、これまで、目標がうまく達成できなかった時は、手をつけるのが苦手なんだな、と思っていました。

しかし、ここにきて、実は、手をつけてみる、いわゆる行動力、がないのではなく、文脈を捉える力が足りなかったのではないか、と思うようになりました。

したがって、ここでのメインテーマを、目標達成のために努力や行動を継続する秘訣としての、文脈を捉える力、とします。

では、文脈を捉える力とは何なのか、また、それはどんな場面で必要となるのか、等は次の記事に書こうと思います。

他者の不在による根源的不安とは

全ての不安は他者の不在による根源的不安となる。

他者との一体感・他者とのつながりを得られない人間にとって。

他者とのつながりを得られない人間は、心が満たされることがない。

コミュニケーションは、他者とのやりとりであって、交換と言ってもいいだろう。

コミュニケーションによって、自分を表現し、他者に認めてもらえない人間は、経済的交換によって、それを代替しようとする。

けれど、重要なのは、本人は他人に認めてもらえない、他人との一体感を感じられない、他者との間で、自分が存在できない、そのことによる、葛藤や、不満を、ものを買ったり、何かに依存したりして解消しようとしていることがわからない。

他者から見れば、依存的な行動や、代償的な行為が、本人にとっては、努力のつもりであったり、息抜きのつもりであったりする。

だから、依存から抜け出すのは難しくなる。

そして、何をやっても満たされない、という虚無感が残っていく。

どんな不幸の元にも、人とつながり、満たされる感覚を得られない状況が存在するはずだ。

 

僕は人と繋がるのはがとても苦手です。

だからこそ、人と繋がれるようになんとかやっていきたいのです。

しかし、戯れる、ジャれる、冗談を言い合う、といった感じの場面では、僕はついていけなくなってしまい、やはり、どぎまぎしてしまいます。

おしゃべりについていけなくなると、僕は凹んでしまうことが多いですね。

人と繋がるということがどれほど、人間にとって大切なことか、学ぶ機会が、最近、多いです。

おそらく、僕自身が、人と繋がる感覚を味わえるようになり、意識化できるように成長したからだと思います。

もっと人と繋がれるようになれれば嬉しいし、人と繋がった感覚、人との一体感を感じたいです。

今日はアルバイトがあり、人と接する機会がありました。

仕事をしている人間全員が集まっているところに、その日の入り時間で店長がやってきた瞬間があって、店長が来た!みたいな流れになり、その時に、一体感を感じることができました。

それが今日の良かったところですね。

僕的には。

なんか、今週は一体感の重要性を知った週で、いろんなことを学んだんですけど、それを記事に書こうと思っていても、どう書こうか、方法を考えてしまい、結局、うまく書けるイメージが浮かばず、というか、手を動かすモードじゃなくなってしまいました。

これからは、多少拙さを感じても、どんどん、手を動かして、記事を書いていこうと思い直し、今日は、感じたことをそのまま書いてみました。

ブログを書くのって、難しいですね。

いろんなことを考えさせられます。