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自己主張すべき場面で流されてしまい、それを失敗として引きずってしまうことへの対応策

きっかけは同僚との議論の場で発言できなかったこと

仕事をこなしていくには、役割に応じた業務、義務がある。
その義務をそれぞれが果たす必要がある。
時には何らかの理由で義務が果たされない事態が生じる。
そうすると仕事が回らない。
その場合、メンバーはお互いの認識の食い違いを議論する必要がある。
それはとても面倒臭いことだ。
議論が面倒である一番の原因は、他人に何かを求めたら、自分に跳ね返ってくるからだと思う。
業務遂行のための議論とは、お互いの要求を現実的で具体的な行動に落とし込むことだ。
つまり現状を変えて新たなタスクを作り出す。
新たな要求を出し合い、行動で示し合うことで、すれ違ってしまった状態を清算する。
共通理解を促し、なおかつ、自己負担もしなければならない。
だから、理想と現状が食い違っていたとしても、黙ってやり過ごす方がいいと思うのが普通だろう。
一般的には、人間は誰でも未熟だったり、不完全さが備わっているものである。
余計に他人に何かを求めるというのは気がひける。
自分にも現状を招いた責任があるわけだから。

僕には肝心な場面でコミットする力が足りなかった

その場に流されてしまう。
どうすれば、その場の議論に流されずに済むか。
ずっと議論の場では、大事な瞬間を逃さないように気張っていればいいのか。
気合いだけで行動は変わらない。
注意が必要なこと、例えば、子供の怪我を防ぐという課題なら、子供に目を向けていれば良い。
危なっかしい場面が目に入れば自然と手を差し伸べるだろう。
行動することが難しいわけではないからだ。
やるべきことを主張するといった行動は、行動すること自体が難しい。
主張すべき場面を察知すれば主張できるかというと振る舞えないだろう。
だから困るのだ。

なぜ困るかというと、あれこれその場で最もらしい理由をつけて、納得し、行動せずに済むようにする、もう一人の自分がいるからではないか

単純に馴染みのない状況に恐怖を感じているのだろう。
あまり自覚のないまま、感情に左右されていると言っていいのではないだろうか。
今まで出来なかったことに一歩踏み出す場面では、こうした心の動きがあるはず。
例えば、飲み会に行きたいと思っても、行くのをやめた、とか、相手のためを思って何かしようとしても、やめた、とか。
僕は社交が苦手だ。
社交ってこのような場面で素直に行動できる必要があると思う。
自己紹介を自分からしてみるとか。
一歩踏み出せるかどうかで人間関係における自由度が左右されるのだと思う。
だから自分が感じたストレスを自覚するようにしたい。
これって小さな子が慣れない環境を嫌がってる場面と似てるように思う。
怖いけれども踏み出してみたら楽しんでたみたいな。
新しい場や人間関係を怖がる点では、僕は、子供と変わらない。

子供の時にあった新しい場や人間関係を怖がる心理は今も僕には残っている

何歳になっても未知の状況に対する不安や恐怖を感じるのは変わらなくて、そうした傾向が、強いということをまずは自覚する。
また発言を控えた理由をもう一度振り返ってみる。
そうすれば、完全に自分の行動が失敗だったと断定できないことに思いが至る。
物事は完全に1か0かで割り切れないということを心に留めておく。
これらは、後追いの対策ですが、一つの失敗に囚われてしまった時には難しい思考です。

これに対して、いかに主体的に人間関係において振る舞えるようになるか、その方法を考えることも必要で、これについては、のちの機会に考えてみたいと思います。