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他者の不在による根源的不安とは

全ての不安は他者の不在による根源的不安となる。

他者との一体感・他者とのつながりを得られない人間にとって。

他者とのつながりを得られない人間は、心が満たされることがない。

コミュニケーションは、他者とのやりとりであって、交換と言ってもいいだろう。

コミュニケーションによって、自分を表現し、他者に認めてもらえない人間は、経済的交換によって、それを代替しようとする。

けれど、重要なのは、本人は他人に認めてもらえない、他人との一体感を感じられない、他者との間で、自分が存在できない、そのことによる、葛藤や、不満を、ものを買ったり、何かに依存したりして解消しようとしていることがわからない。

他者から見れば、依存的な行動や、代償的な行為が、本人にとっては、努力のつもりであったり、息抜きのつもりであったりする。

だから、依存から抜け出すのは難しくなる。

そして、何をやっても満たされない、という虚無感が残っていく。

どんな不幸の元にも、人とつながり、満たされる感覚を得られない状況が存在するはずだ。

 

僕は人と繋がるのはがとても苦手です。

だからこそ、人と繋がれるようになんとかやっていきたいのです。

しかし、戯れる、ジャれる、冗談を言い合う、といった感じの場面では、僕はついていけなくなってしまい、やはり、どぎまぎしてしまいます。

おしゃべりについていけなくなると、僕は凹んでしまうことが多いですね。

人と繋がるということがどれほど、人間にとって大切なことか、学ぶ機会が、最近、多いです。

おそらく、僕自身が、人と繋がる感覚を味わえるようになり、意識化できるように成長したからだと思います。

もっと人と繋がれるようになれれば嬉しいし、人と繋がった感覚、人との一体感を感じたいです。

今日はアルバイトがあり、人と接する機会がありました。

仕事をしている人間全員が集まっているところに、その日の入り時間で店長がやってきた瞬間があって、店長が来た!みたいな流れになり、その時に、一体感を感じることができました。

それが今日の良かったところですね。

僕的には。

なんか、今週は一体感の重要性を知った週で、いろんなことを学んだんですけど、それを記事に書こうと思っていても、どう書こうか、方法を考えてしまい、結局、うまく書けるイメージが浮かばず、というか、手を動かすモードじゃなくなってしまいました。

これからは、多少拙さを感じても、どんどん、手を動かして、記事を書いていこうと思い直し、今日は、感じたことをそのまま書いてみました。

ブログを書くのって、難しいですね。

いろんなことを考えさせられます。